昇段レポート≪藤井 彩子≫


黒帯とは

 小学校三年生の三月四日に、自分は生まれてから初めて空手を始めました。それから、六年と半年程たった今、始めた時から目標としていた「黒帯」をとりました。自分にとっての「黒帯」。それはすごくかっこよくて、憧れの存在です。
 「黒帯」と聞くと、誰もが強い、というイメージを持ちます。自分もそうでした。組手も強くて、ひっぱっていってくれて、優しくて、何でも教えてくれる、魅力的な人達が黒帯をしめていました。小学校六年生にもなると、同年代の男の子が昇段をしはじめました。もちろん彼等も強かったです。しかし、自分の理想とは違いました。何が足りてないのかは分かりませんが、とにかく、何かが違っていました。
 大宮道場には、市川師範をはじめ、黒帯の先生がおられます。毎回のけいこで、いろんな先生方に教えてもらっていると、それぞれの方々の人柄が出ているなぁ、と思います。けいこでもそうですが、けいこの前後に先生方と話をしていると、なぜか安心できて、色んな話を聞いてもらいたい、という気持ちになります。それで、最近思うのは、先程述べた、同年代の黒帯の彼等にはなくて、先生にはあるもの、それは人間的な大きさだということです。
 相手の気持ちがわかる、親身になって人の話をきける、よく気がつく、そして何より、ついてくる人がいる人がいる、ということはやはり人間的に大きくないとできないことだと思います。たくさん苦しい、つらい、しんどい思いをして、いろんなことを経験したからこそ、どうどうとしていられる。余裕も持てる。強さだけではなく、人間的な部分に魅力がある。黒帯とは、そういうものだと思います。
 ここまで、自分が思う黒帯について述べてきましたが、自分は黒帯としてどうなのでしょう。自分はまだまだ未熟すぎると思います。まず、弱い。黒帯としてどころではなく、道場生として、人間として、非常に弱いです。組手だって、下の帯の男の人にまで手加減されて、手加減しないでやってもらったら力負けをして、少年部の子達の見本にもなかなかなれなかったです。十人組手の時だって、まともに戦ったのは、一人目と四人目で、あとは気持ちは何とか折れなかったけど体は動かないし、後ろには下がるし、痛そうな顔はするし、いったい何をやってるんだ、と自分の弱さがいたいくらいわかりました。十人組手自体は、やってよかった、と思いますが、審査をおえて、一つだけ大きな後悔がありました。それは、自分の力をセーブしながらしようとしたことでした。補強の審査はそれでだめでした。十人組手は、やってる最中は必死にやってるつもりでしたが終わってから、もっといけたのではないだろうかと思いました。そのとき、「また逃げた。」と思いました。最後の最後で、自分の弱いところがでたなぁと。皆から見て、自分の十人組手はどうだったのでしょうか。先生も母も、道場の皆も「よく頑張った。」とほめてくれます。でも、ほめてもらえる度に、ちゃんと戦えなかったような気がする自分が、悔しかったです。そして、「もっと強くなりたい。」と今まで以上に思いました。
 強くなりたいと思いなおせたことを思うと、やっぱり十人組手をして良かったと思います。途中で諦めかけたけれど、最後までやって良かったと思っています。「初志貫徹」「黒帯をとれるチャンスがそこにあんのに、今とらへんかったら、いつとるんや。」と、諦めようとした自分を諦めさせないようにして下さった師範には、本当に感謝しています。
 自分は黒帯を、一つの区切りとしています。ソフトボールだけをするために、そう決めました。でも、本当は黒帯を取ってからが、空手家としてのスタートだと思います。自分みたいに、黒帯になったすぐは、誰もが未熟なのかもしれません。そこからたくさんの経験をつんで、先生方のような大きな人間になるための大切なスタートです。
 このスタートを、空手とは違う道ですが、「インターハイに出る」という夢に向けてのスタートにしようと思います。
 後一つ、空手を始めた頃からの目標、夢である、黒帯をとってわかったことは、「夢はかなえるものである。」ということです。今まで、くさい言葉だと思っていましたが、確信しました。大切なのは、自分を信じること。信じるために人一倍の努力を惜しまないこと、向上心を持つことです。
 空手は、自分を大きくしてくれました。そして、人とのつながりの大切さ、感謝することを教えてくれました。自分は、空手が大好きです。ずっと支えてくれている、師範、先生、家族、皆には感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。